古代はローマ軍の拠点として栄え、キリスト教も早くから布教されました。中世に入るとケルン大聖堂を建設され、キリスト教が力を持ちケルン一体は宗教領となりました。13世紀都市市民が宗教からの自由を求め、ケルン大司教と対立し、ケルンが自由都市となると大司教はボンへ亡命の形で追放されました。近世にはいると30年戦争で衰退するがケルン大聖堂を建設し復興し地域の政治経済の中心都市として栄えるようになりました。近代は第2次世界大戦で激しい空爆とドイツ軍が最後の抵抗を示して市内に立て籠もり激しい市街戦が展開されました。市内の建造物は90%以上が殆ど破壊されましたが奇跡的にケルン大聖堂は破壊から免れ生き残った市民の希望となり復興を果たしました。
タンタンとお母さんお父さんはライン川の観光をしてケルンで昼食です。タンタンはミルクとニュールンベルクソーセージとスープ。お母さんお父さんはドイツビールで乾杯でした。
昼食後徒歩でケルン大聖堂に向かいました。ケルン大聖堂周辺はクリスマスの準備中でした。
文化施設の建築現場です。お父さんがタンタンにドイツも張張りを掛けて街路構築の
管理をするのですと教えてくれました。
ライン川ほとりのアム・ボルヴェルクの歩道です・
ライン川ほとりのアム・ボルヴェルクの歩道での一枚、やはり町並みは
落ち着いてしっかりしているなとお父さんがつぶやいていました。
タンタンとお母さんお父さんはケルンで昼食です。レストランはPaulaner im Roten Ochsen です。店は余り大きくないですが歴史は1798年からですので200年以上です。
お母さんはビールでご機嫌、です。ドイツのビールは美味しくてお代わりでした。
コスタは記念にいただいて来ました。
美味しいスープです。タンタンも小皿で貰いました。
ソーセージとジャガイモです。
デザートです。美味しかったです。
ケルン大聖堂の全容です。大きくて荘厳の感じです。30年戦争の終結後自由都市の
象徴として建設された聖堂です。
大聖堂にの周辺はクリスマスの飾りつけの真っ最中でした。タンタンとお母さんです。
お母さんが見上げています。タンタンはお母さんお父さんにクリスマスに来ればもっと良かったね言いました。
大聖堂の正面広場です。
お父さんの横にある塔の説明書きです。
お母さんとタンタンは大聖堂の正面玄関にいます。
大聖堂の中です。
天井が高いです。これもアーチ構造だからもつのかな。
窓のステンドグラスです。
すっかりご機嫌のお母さん。隣のタンタンは呆れてVサインを見ています。
ケルンの夕日です。タンタンとお母さんお父さんは又来ようねと言いました。
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