フランスのモンサンミッシェルでドナとお母さん

2012年5月31日木曜日

ハイデルベルク

タンタンとお母さんお父さんは3日目のドイツハイデルベルクです。
お父さんがタンタンにハイデルベルクの歴史や文化について教えてくれました。


ハイデルベルクはドイツ北西部にあります。ライン川とネッカー川の合流地点をネッカー川に遡った地点に位置しています。ハイデルベルク城やドイツ最古の大学ルプレヒト=カールが有名です。人口は約15万人で、マンハイムやルートビヒスファーヘン・アム・ラインとライン=ネッカー大都市圏を形成しています。ハイデルベルクは周辺7町村が合併し今のハイデルベルクをつくっています。ハイデルベルクの中心は旧市街アルトシュタットでネッカー川南岸にあります。歴史的にも古く多くの歴史遺産が残されています。2004年と2007年ユネスコ世界遺産の登録申請を行っています。
町の歴史を見ると、前史時代の原人ホモ・ハイデルベルゲンの化石も発見されています。古代になるとローマの影響支配を受け栄えました。
中世に入るとミヒアエル修道院やノイベルク修道院が建造されています。ハイデルベルク城はイエッテンビュールに前身が建設されケーニヒシュトゥールとネッカー川の間にはマルクト広場を中央に配した都市計画に基づき都市が建設されています。近世にはいると宗教改革を受け入れカルヴィン派へ移行しました。ヨーロッパ全土から学者や学生を受け入れ大いに文化的に栄えました。フリードリヒ5世はプロテスタント同盟の盟主として30年戦争を仕掛けたが、カトリック連盟に敗北しハイデルベルクは占領されました。結果大きな損害を受けました。占領される際貴重な文献は持ち去られ、今もバチカンに存在します。後カール2世没後継承問題で紛争がおきフランスのルイ14世が干渉し戦争がおきハイデルベルクはフランスに占領され、ハイデルベルク城は破壊されました。後にハイデルベルク城はベルクハイム地区に再建計画が持ち上がりましたが住民の抵抗にあい断念されました。結局マンハイムに城は移され行政の中心もマンハイム移った結果ハイデルベルクは衰退していきました。カールテオドールがハイデルベルクの再建計画をまとめアルデ・ブリュック橋を架けハイデルベルク城にカール門を設けましたが1764年落雷に遭い甚大な被害が発生するにいたりハイデルベルク城を含めた再建計画は又断念し今日に至っています。
近年は国家社会主義、自由主義、民主主義に大きく揺れました。ナチが権力奪取後ユダヤ人の追放弾圧迫害が続き、多くのユダヤ人が強制収容所に送られ帰らぬ人となりました。ドイツは戦争末期市民を巻き込んだ市街戦で抵抗し国土の大部分の都市は破壊されました。しかしハイデルベルクは奇跡的に戦火から免れハイデルベルク市の町並みと貴重な歴史文化遺産は生き残りました。戦後はユダヤ難民や戦争難民を積極的に受け入れました。NATOの最高指揮所も設けられました。大学もいち早く再建され戦後の民主主義とともに大学の町、文化歴史の町として復興されました。


ハイデルベルクの旧市街です。手前に見えるのが旧市街アルシュタットです。 




聖霊教会からアルト橋と旧市街です。




アルト橋からネッカー川上流へ


旧市街のネッカー川上流部です。








お母さんとタンタンが旧アルトシュタットを








聖霊教会と旧町並みです






アルト橋をバックにタンタンとお母さんお父さん




ネッカー川にかかるアルト橋です。日本だったら文化遺産、土木遺産、国宝との事




聖霊教会とマルクト広場です。中世の30年戦争とフランスとの戦争で大きな被害を受けましたが
修復されています。
聖霊教会はブレヒト3世が1400年に起工してから約150年かけて完成しました。82mの高さの塔を持ち、ゴシック様式で建築されています。




マルクト広場と市庁舎です




市庁舎前のクリスマスの飾りつけ中のお店です
タンタンがお母さん目を開けてといってます




ツムリッターホテルとマルクト広場です。




ハイデルベルクの町並みです




同じくハイデルベルクの町並みです。




ホテルVier Johres前の町並みです。




お母さんが遅れないように付いてきます




ハイデルベルク城の入り口です



ハイデルベルク城のカール門です。






 ハイデルベルク城見学のアーチの入り口です




ハイデルベルク城の第1門です。今でもフランスルイ14世に攻められた銃弾のあとが残っています。


ハイデルベルク城です。



ハイデルベルク城の城内です。




ハイデルベルク城の城内です。






ハイデルベルク城の城壁
ハイデルベルク城の城壁 



ハイデルベルク城の城壁
現在足場を架けて修復中です
 ハイデルベルク城の中心部です
 城門入り口を背に


 フランス敗れ破壊された城内の姿です



 フードリヒ5世のぶどう酒の酒樽です。直径が10mくらいかな。



 城内の宮廷部です。やはり占領されると破壊され昔の優雅さは残っていませんでした。 




ハイデルベルクの食事したレストラン前です 



昼食は美味しかったです。タンタンとお母さんお父さんは
ドイツ風ラビオリのマウルターヒェンでした。


ビールも美味しくてお代わりでした。




2012年5月23日水曜日

ルートビヒスファーヘンのホテルで宿泊

ヨーロッパ旅行2日目の宿泊地はルートビヒスファーヘン・アム・ラインです。ルートビヒスファーヘン・アム・ラインはドイツのラインラント=ブファルツ州にある都市です。人口は約16.5万人でライン川西岸にあります。対岸はマンハイム市があります。科学と文化の結合都市です。世界最大の化学メーカーBSFの本社があります。 
タンタンとお母さんお父さんの2日目のホテルはBestWesternHotelLudwigshafenです。ホテルは清潔で広かったです。ホテルの隣に駅があります。タンタンとお母さんお父さんは夕食は外のレストランで食べようと駅へ出ました。だけどレストランは時間で閉店していてお店が1件ありましたの。お店でタンタンのミルクとお父さんとおかあさんの夕食とお菓子やビールを買って部屋で食べました。駅はホテルからほんの100mくらいと近いところにありました。


タンタンとお母さんお父さんとホテルの前で記念撮影です







ホテルの部屋です。狭くもなく清潔だ良かったです。




朝食です。タンタンとお母さんお父さんは一杯食べました。













2012年5月22日火曜日

ドイツケルン

ケルンはローマ帝国により建設され、ライン川中流域の古い都市です。ケルンの語源はラテン語で植民市です。古代から交易と地域政治の中心です。産業都市であり重工業も盛んです。世界遺産のケルン大聖堂が町のシンボルです。オーデコロンはケルンよりの語源で今も盛んに生産されています。
古代はローマ軍の拠点として栄え、キリスト教も早くから布教されました。中世に入るとケルン大聖堂を建設され、キリスト教が力を持ちケルン一体は宗教領となりました。13世紀都市市民が宗教からの自由を求め、ケルン大司教と対立し、ケルンが自由都市となると大司教はボンへ亡命の形で追放されました。近世にはいると30年戦争で衰退するがケルン大聖堂を建設し復興し地域の政治経済の中心都市として栄えるようになりました。近代は第2次世界大戦で激しい空爆とドイツ軍が最後の抵抗を示して市内に立て籠もり激しい市街戦が展開されました。市内の建造物は90%以上が殆ど破壊されましたが奇跡的にケルン大聖堂は破壊から免れ生き残った市民の希望となり復興を果たしました。
タンタンとお母さんお父さんはライン川の観光をしてケルンで昼食です。タンタンはミルクとニュールンベルクソーセージとスープ。お母さんお父さんはドイツビールで乾杯でした。
昼食後徒歩でケルン大聖堂に向かいました。ケルン大聖堂周辺はクリスマスの準備中でした。


文化施設の建築現場です。お父さんがタンタンにドイツも張張りを掛けて街路構築の
管理をするのですと教えてくれました。




ライン川ほとりのアム・ボルヴェルクの歩道です・








ライン川ほとりのアム・ボルヴェルクの歩道での一枚、やはり町並みは
落ち着いてしっかりしているなとお父さんがつぶやいていました。






タンタンとお母さんお父さんはケルンで昼食です。レストランはPaulaner im Roten Ochsen です。店は余り大きくないですが歴史は1798年からですので200年以上です。






お母さんはビールでご機嫌、です。ドイツのビールは美味しくてお代わりでした。
コスタは記念にいただいて来ました。






美味しいスープです。タンタンも小皿で貰いました。








ソーセージとジャガイモです。




デザートです。美味しかったです。






ケルン大聖堂の全容です。大きくて荘厳の感じです。30年戦争の終結後自由都市の
象徴として建設された聖堂です。



大聖堂にの周辺はクリスマスの飾りつけの真っ最中でした。タンタンとお母さんです。
お母さんが見上げています。
タンタンはお母さんお父さんにクリスマスに来ればもっと良かったね言いました。
大聖堂の正面広場です。

























































お父さんの横にある塔の説明書きです。
お母さんとタンタンは大聖堂の正面玄関にいます。
大聖堂の中です。
天井が高いです。これもアーチ構造だからもつのかな。
窓のステンドグラスです。
すっかりご機嫌のお母さん。隣のタンタンは呆れてVサインを見ています。
























































 さあタンタンとお母さんお父さんはケルンを離れて2日目の宿泊地ルートビヒスファーヘン・アム・ライン向かいます。
ケルンの夕日です。タンタンとお母さんお父さんは又来ようねと言いました。