虹口公園、魯迅公園、魯迅記念館
租界時代1896年義勇軍の射撃訓練場として作られた場所です。上海事変後日本が戦勝祝賀会を催したところ、陸軍大将や重光公使らが死傷する事件も起きました。
魯迅記念館や魯迅のお墓もあります。魯迅の功績をたたえ後世に残すために創られた記念館です。内山完造との交わりの深さを偲ばす内山書店も再現されています。
お母さんとドナは虹口公園にいます。公園ではお父さんくらいの人たちが朝の体操
をしていました。なんとなく優雅、ゆとり、スロウな印象、中国の歴史的な時間かな。
後ろの人たちが体操中です。
お母さんに抱っこしてもらっての写真です
魯迅記念館の入り口、お母さんがドナにここが魯迅記念館ですよと教えてくれました。
お父さんが魯迅記念館に来てくれました。お父さんは上海駐在員です。仕事の合間に来てくれました。だけど直ぐウルムチへ出かけました。でもタンタンは嬉しかったです。
お父さんが魯迅記念館の中で撮ってくれました。お父さんが魯迅たちが蜂起した写真と
教えてくれました。
魯迅故居
魯迅公園の東側を走る山陰路沿いには魯迅故居も記念館として残っています。
お母さんと魯迅故居の前で
ドナは魯迅故居がある山陰路の風景です
魯迅の故居から歩いて数分のところに内山書店があります。
内山書店
山陰路を下っていくと魯迅と親交の深かった内山完造経営していた内山書店跡があり、記念レリーフが建物の壁に飾られています。中国人の恩人に対する礼の厚さが感じられます。現在は中国商工銀行が入っており建物は新しくなっており、2階には往時を偲ばせる記念館となっています。内山書店には魯迅、郭沫若や芽盾らが出入りし中国文学のサロンの役目をはたしておりました。現在は神田神保町に内山完造の弟が経営する内山書店があります。中国書の専門店として活躍しています。
内山書店がある四川北路の通りです。
内山完造先生のレリーフがある中国商工銀行の前で
タンタンはお母さんから大きくなったら内山先生みたいになるの言われました
日本海軍陸戦隊本部跡
魯迅公園から四川北路を南へ行くと日本海軍陸戦隊本部跡の建物が現存し、銀行と公安の建物として利用されています。
多倫路文化名人街
中国の文化人が多く住んでいた地区が虹口地区です。多倫路文化名人路は特多くの文化人が集まっていた面影を残し文化人の像が置かれ中国の文学を偲ばせます。多倫路北側の入り口付近に当時の知恩院の建物がそのまま残っています。仏教寺院ですが建築様式はイスラム様式で興味が惹かれます。多倫路はその他戦前戦中の建物が多く骨董品店や書店も多くあり是非足を止めて訪問したい。
知恩院はタンタンとお母さんの左側です
知恩院の前でお母さんとタンタン、今は多倫路250号住宅となっています。
この建物が日本の知恩院なのです。
タンタンはお母さんと多倫路文化路の入り口門で
タンタンとお母さんは昔の文化人の一緒に写りました
多倫路を歩くともう一つの文化人の銅像です
ここでも文化人と一緒に、タンタンはお母さんに今見てきた銅像について
色々と教えてくれました
タンタンは写真レリーフを見てお母さんみたいと言ったら、そうですお母さんよと言ってました
多倫路の住宅街です。2階からは物干し竿を伸ばして洗濯物を干していました。
今では会所となっている戦前の建物
今でも残る教会です
この先に行った上海文物商店でお父さんのお土産に30年前の歴史物語の本3冊買い ました。1冊10元でした。A5版の1/3くらい大きさでした。
多倫路の終点の門です。だけどこの門が入り口で、始めの門が終点かも
横浜橋を過ぎ昼食
四川北路を南下して行くと横浜橋を渡る。日本の横浜に縁があるのかと思いましたが関係ないようでした。途中お腹がすいたので牛肉麺で昼食です。ドナとお母さんは麺と啤酒を頼んで2人で18元くらいでした。日本のうどんに似た麺であっさりしていて美味しかったです。
横浜橋の前でタンタンとお母さん
お母さんとお昼、タンタンはミルク、お母さんは啤酒、そして麺 啤酒3元、麺8元、ミルクは3元でした |
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