フランスのモンサンミッシェルでドナとお母さん

2012年1月23日月曜日

上海博物館

ドナとお母さんは南京東路を西へ上海博物館を目指しました。お父さんから上海博物館にはドナがいますと教えれていたので行って見たかったです。
上海博物館は中国の3大博物館の一つで石器時代から明清時代国宝級の貴重な文化財が展示されています。
お母さんがチケットを購入する際パスポートと紹介状を提示しました。チケット売り場の主任が出てきてお母さんに挨拶してドナを特別に入れるようにしてもらいました。
1階は古代青銅館、2階は古代陶磁館、3階は書画、4階は銭幣館となっています。紀元前18世紀から紀元前3世紀までの青銅器が展示されています。彫塑館では石仏、銅像など遺跡から出土した文化財が展示されています。石造、仏像が1000体も展示されていますが、ドナは中国の歴史の深さを学びました。ドナとお母さんは彫塑館でドナとそっくりな塑像をが何体かあり、ドナの祖先みたいな柴犬と思いました。




タンタンはお母さんと上海博物館に見学に来ました。








タンタンは上海博物館の入り口でお母さんと、お母さんがチケット売り場で2枚買いました
係員にドナの紹介状を提示すると、主任が来て挨拶をしてくれました。タンタンの頭をなでて
「よく来たね、ゆっくり見てね」と言って、案内してくれました。










春秋時代の仏像2体です。ドナは仏像に向かって拝みました。主任は「いい子」だねと言ってました














金時代の仏像です。タンタンはここでも仏像に向かって拝みました。










ドナに良く似ています。タンタンのご先祖の像かな。






ドナは牛さんと同じポーズです。主任から、この牛さんは金時代の青銅器で、お酒を温める
容器と教えてもらいました。









七浦路服飾市場

ドナとお母さんは四川北路をさらに南下します。途中タクシーを止め七浦路服飾市場と行き先を告げたところ、運転手も直ぐに分かりました。タクシーを七浦路服飾市場の交差点降りると待ってましたとばかり7-8人の偽物ブランド売りに取り囲まれる。その中の親分らしいのが、ドナとお母さんに付いていくように若い子分に命令していました。それからは若い子分にずっと付きまとわれることになりました。ドナお母さんは無視して大きな七浦路服飾市場をみて回りました。ある時店の人が付きまとう若い子分に「何をしているんだ、やめろ」と言いました。若い子分は「ともだち」とたどたどしい日本語で答えていました。更に無視して七浦路服飾市場を見て歩いていましたが、気味が悪くなり店を出てタクシーに乗り退散しました。
七浦路服飾市場は上海一の七浦路服飾市場で日本のショッピングモールを大きくして、アメ横の店をぎっしり詰め込んだイメージです。ゆっくり見て地元の中国人と触れ合いたかったのですが、やはり安全が第一なのでよい教訓でした。

虹口エリアの魯迅公園、魯迅記念館と故居、内山書店、日本海軍陸戦隊本部跡、多倫路文化路と知恩院他日本縁の地

ドナとお母さんは戦前戦中日本縁の地区虹口エリアを訪ねました。虹口エリアには10万人の日本人が居住し日本租界とも呼ばれていました。虹口エリアには今でもかつて日本人街を形成した数多くの日本の建造物が現存し現役で活躍しています。


虹口公園、魯迅公園、魯迅記念館
租界時代1896年義勇軍の射撃訓練場として作られた場所です。上海事変後日本が戦勝祝賀会を催したところ、陸軍大将や重光公使らが死傷する事件も起きました。
魯迅記念館や魯迅のお墓もあります。魯迅の功績をたたえ後世に残すために創られた記念館です。内山完造との交わりの深さを偲ばす内山書店も再現されています。


   お母さんとドナは虹口公園にいます。公園ではお父さんくらいの人たちが朝の体操
をしていました。なんとなく優雅、ゆとり、スロウな印象、中国の歴史的な時間かな。
後ろの人たちが体操中です。




お母さんに抱っこしてもらっての写真です





魯迅記念館の入り口、お母さんがドナにここが魯迅記念館ですよと教えてくれました。






お父さんが魯迅記念館に来てくれました。お父さんは上海駐在員です。仕事の合間に来てくれました。だけど直ぐウルムチへ出かけました。でもタンタンは嬉しかったです。






お父さんが魯迅記念館の中で撮ってくれました。お父さんが魯迅たちが蜂起した写真と
教えてくれました。












魯迅故居
魯迅公園の東側を走る山陰路沿いには魯迅故居も記念館として残っています。
お母さんと魯迅故居の前で



ドナは魯迅故居がある山陰路の風景です



魯迅の故居から歩いて数分のところに内山書店があります。


内山書店
山陰路を下っていくと魯迅と親交の深かった内山完造経営していた内山書店跡があり、記念レリーフが建物の壁に飾られています。中国人の恩人に対する礼の厚さが感じられます。現在は中国商工銀行が入っており建物は新しくなっており、2階には往時を偲ばせる記念館となっています。内山書店には魯迅、郭沫若や芽盾らが出入りし中国文学のサロンの役目をはたしておりました。現在は神田神保町に内山完造の弟が経営する内山書店があります。中国書の専門店として活躍しています。
内山書店がある四川北路の通りです。




内山完造先生のレリーフがある中国商工銀行の前で
タンタンはお母さんから大きくなったら内山先生みたいになるの言われました




日本海軍陸戦隊本部跡 
魯迅公園から四川北路を南へ行くと日本海軍陸戦隊本部跡の建物が現存し、銀行と公安の建物として利用されています。






多倫路文化名人街
中国の文化人が多く住んでいた地区が虹口地区です。多倫路文化名人路は特多くの文化人が集まっていた面影を残し文化人の像が置かれ中国の文学を偲ばせます。多倫路北側の入り口付近に当時の知恩院の建物がそのまま残っています。仏教寺院ですが建築様式はイスラム様式で興味が惹かれます。多倫路はその他戦前戦中の建物が多く骨董品店や書店も多くあり是非足を止めて訪問したい。
知恩院はタンタンとお母さんの左側です




       知恩院の前でお母さんとタンタン、今は多倫路250号住宅となっています。
       この建物が日本の知恩院なのです。



タンタンはお母さんと多倫路文化路の入り口門で


タンタンとお母さんは昔の文化人の一緒に写りました





多倫路を歩くともう一つの文化人の銅像です




ここでも文化人と一緒に、タンタンはお母さんに今見てきた銅像について
色々と教えてくれました




タンタンは写真レリーフを見てお母さんみたいと言ったら、そうですお母さんよと言ってました



多倫路の住宅街です。2階からは物干し竿を伸ばして洗濯物を干していました。


今では会所となっている戦前の建物




今でも残る教会です




広雅古玩の前で、中に入ると書画骨董があり見学しました。
この先に行った上海文物商店でお父さんのお土産に30年前の歴史物語の本3冊買い       ました。1冊10元でした。A5版の1/3くらい大きさでした。


多倫路の終点の門です。だけどこの門が入り口で、始めの門が終点かも






横浜橋を過ぎ昼食
四川北路を南下して行くと横浜橋を渡る。日本の横浜に縁があるのかと思いましたが関係ないようでした。途中お腹がすいたので牛肉麺で昼食です。ドナとお母さんは麺と啤酒を頼んで2人で18元くらいでした。日本のうどんに似た麺であっさりしていて美味しかったです。
         横浜橋の前でタンタンとお母さん




お母さんと入った桂林米粉
お母さんとお昼、タンタンはミルク、お母さんは啤酒、そして麺
啤酒3元、麺8元、ミルクは3元でした

2012年1月22日日曜日

静安寺と久光百貨そして静安小亭服飾市場そして珈琲店

静安寺
ドナとお母さんは南京東路を散策した後、地下鉄で静安寺站へ行きました。静安寺は三国時代247年に創建されたそうです。9世紀日本の遣唐使として空海が訪れたお寺です。拝観料10元を払い中に入ると長いお線香を持った人たちが参拝していました。本堂の中へ入ると、本堂ではお坊さんたちがお経を上げていました。ドナとお母さんは厳粛な気持ちになり手を合わせました。


ドナはお母さんと静安寺の門前で





  ドナはお母さんとお線香をあげているところ
  熱心に拝んでいる20代の女性も一杯いて信仰心はどこも同じでした。


  ドナも厳粛に拝んでいました



久光百貨
ドナとお母さんは久光百貨に入り、洋服やアクセサリーを見ました。地下へ降りたたら日本のデパートの地下と同じで食料品を買う人たちで一杯でした。品物は日本製品が多く、日本の現地駐在員も安心して買えるデパートでした。
 
 久光百貨の玄関で



静安小亭服飾市場
現在はバスターミナルとなっていますが、以前は小さなお店が軒を連ね衣料品、アクセサリー、良好用品なんでもそろう現地の庶民が行くところでした。値段交渉も面白く、ドナとお母さんは、お父さんへのお土産のベルト、お姉ちゃんたちにネールペイントを買いました。店の人たちも気分の良い人たちで、あのしつこく気味の悪い七浦路の偽物売りがいないのもとっても良かったです。
珈琲店
ドナとお母さんはちょっと疲れたので静安寺と久光百貨の間の通りにある珈琲ショップに入りました。お母さんは珈琲、ドナはいつもあったかいミルクに砂糖を入れて甘くしてもらい飲みました。




渝信で四川料理の夕食





ドナとお母さんは夕食を渝信で食べることにしました。上海では超有名な店で予約をしないと入れない店と紹介されています。ドナとお母さんは渝信の店に入ると現地の中国人で一杯、百人以上並んでいました。このまま待つと2時間以上待つのか思われました。お母さんは心配になり受付の服務員に、どのくらい待つのか、尋ねました。そうすると服務員は、ドナとお母さんに気づき、奥から主任を無線で呼んでくれました。主任はお母さんとドナに挨拶して、ここで待つように、直ぐ席を用意するからと言われました。数分もしないうちに個室に案内されました。ドナは何を食べようかな、お母さんは四川料理は辛いのでドナは大丈夫かなと、色々考えました。お母さんは水果色拉、麻婆豆腐、水煮魚、宮爆鶏丁を注文しました。もちろん飲み物は青島啤酒とドナにあったかいミルクを注文しました。先ず乾杯すると注文した料理も出てきて、どれも美味しいこと、ドナはお母さんに取り分けてもらいながら、四川料理は美味しいねと思いました。上海に来て初日、火鍋料理を食べたので麻辣は気になりませんでした。とっても美味しく、日本で食べる四川料理と違った本当の四川料理を食べることが出来ました。それからはドナとお母さんは中国へ行くと必ず渝信で食べています。


ドナとお母さんは渝信の入り口で記念撮影です。美味しいかどうか分からず入るところです


お母さんとドナは美味しく食べています。タンタンはお母さんにちょっと辛いよねと言ってます

タンタンは水煮魚と麻婆豆腐とナッツと唐辛子炒め
美味しかった、でも四川料理は麻辡だよねとタンタン





南京東路

ドナはお母さんから南京東路の歴史を学びました。19世紀列強が上海に進出し租界としました。中国の主権の及ばない屈辱的な歴史です。租界の中で一番早く開発された繁華街です。今でも中国一の繁華街です。通りに面して近代的なビルが立ち並ぶ中、租界時代の歴史建造物が今でも現役で活躍していいます。南京東路は南京東路站から人民広場站までが歩行者天国となっています。ドナとお母さんは外灘から南京東路を西へ人民広場站までウインドウショッピングを楽しみながら歩いていきました。途中上海張小泉剪刀製造有限公司へ立ち寄り中華包丁と木剪を買いました。「泉字牌」ブランドで有名で300年の歴史があります。お店はお客で一杯でほとんどが中国人で日本人はドナとお母さんでした。それから南京東路を更に西へ行こうとしましたがドナはお腹がすいて、お母さんもう歩けないよといつもの駄々をこねました。お母さんは蘇州面の橋香園を見つけ昼食を食べました。お母さんは青島啤酒、ドナはミルク、そして麺を食べました。ドナは中国はみんなラーメンかと想像していましたが、日本では素麺の柔らかい麺みたいでした。でも美味しかったです。

お母さんと南京東路散策とお買い物。


南京東路の母子像の前でドナとお母さん


南京東路にある上海張小泉剪刀店の店先です。



上海張小泉剪刀店 でお母さんはお父さんのお土産に
 木剪と中華包丁を買いました。ドナはどれが良いかお母さんと品定めです。


ドナはお腹がすいたので南京東路沿いにある橋香園という麺専門店でお昼です。


お母さんが麺と啤酒、ミルクを注文しています。ドナはテーブルで座って待ってます。


ドナとお母さんが食べた麺です。量はお母さんが2両、ドナは1両でした。


外灘(バンド)エリア租界時代の建築群、外灘遊歩道、外白渡橋

黄浦江の西、浦西地区は19世紀港湾として発展してきた地区です。列強は上海を進出の拠点として特に浦西地区に港湾施設を作り進出していきました。
外灘には列強が建造した石造建築群があり今でも現役で活躍しています。歴史建造物として残る旧日清汽船、旧横浜正金銀行、旧中国銀行本店など現存し昔のまま保存され使用されています。ドナはお母さんと写真を取ったり、中国銀行で換銭しました。お母さんは中国銀行なら安全なのでドナと一緒に保安係員に案内してもらい窓口で換銭しました。手続きは簡単で用紙に名前と金額とホテルの名前住所を書いて、パスポーを提示すれば簡単に出来ます。お父さんからドナは文化財級の建築物が保存され今でも現役で活躍しているのでよく勉強してくるように言われました。




黄浦工と蘇州河の合流地点に外白渡橋が架かっています。
外白渡橋は1907年に架けられ現在も使用されていますが2車線なので今では隣に大きな新橋が出来ています。2010年頃、外白渡橋は全体を橋脚橋台から外して修理されまた元のように架けられました。この橋は上海事変の際、日本海軍陸戦隊と中国軍の間で激戦が行われた橋です。



外灘遊歩道は黄浦工沿いに木造遊歩道として整備され戦前の歴史建築群や外白渡橋そして対岸の浦東地区の高層建築群を眺めながら散策するととっても良いです。ドナとお母さんはゆっくり散歩しながら浦東地区を眺めたりして過ごしました。お母さんは人ごみの中ではドナを抱っこしてくれました。





観光隧道を利用すれば対岸の浦東地区に行けます。これが愉快、電飾で幻想的にした隧道を専用の鉄路で渡る。途中線路に人形が突然出たりびっくりする。ドナとお母さんは専用の地下鉄に乗りましたが照明やお人形などがきれいでまるで夜のテーマパークみたいでした。でも中国には鉄道の建築限界などどう扱っているのか不安でした。