テヴェレ川河畔
ローマ市内を流れるイタリアで3番目に長い川です。源はモンテマフイロの近隣にある泉です。古代ローマ時代は「澄んでいない川」を語源とするティベリウス川と呼ばれていた。また古代
ローマ皇帝ティベウスの名前を由来としている。
訪れた日もテヴェレ川は茶色に濁っていました
サンタnジェロ橋よりヴィットリオエマヌエレ2世橋
ナヴォーナ広場から徒歩でテヴェレ川河畔に着きました。ウンベルト1世橋広場とウンベルト1世橋です。奥に見えるのが裁判所です。
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裁判所
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裁判所と検察局
イタリアの最高裁判所でテヴェレ川右岸にあります。
検察局
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via zenardelli |
テヴェレ川河畔のトブナーリ広場とカステッロ河岸通り、河岸は大きな木が両岸を覆い石畳の通りと対をなし落ち着いた雰囲気を表している。写真左側のオレンジの建物が検察局です。
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VIA ZANARDIALLI 通り、ウンベルト1世橋より今来たナヴォーナ広場を振り返る。
裁判所側から対岸のトール・ディ・ナノ河岸通り
裁判所の対岸 |
テヴェレ川河畔の露店 |
カステッロ河岸通りにある露店風景、昼間はまだ相手なかったです。
サンタジェロ城とサンタジェロ橋
AC139年ハドリアヌス帝の
テベレ川左岸よりサンタジェロ橋 |
霊廟として建設された。その後教皇の住居として利用された。6世紀教皇グレグリオ1世がペストの終焉を宣言したのもこの城からです。14世紀要塞として強化された。バチカンとサンタンジェロ城
秘密の通路を設け非常時の避難場所として利用されました。その後牢獄として使用された。サンタンジェロ城は数奇な運命と陰惨な歴史を経験してきました。
サンタンジェロ橋よりサンピエトロ寺院を望んだ写真です。
サンタンジェロ橋両側には移民やジプシーの物売りが数多くいた。
サンタジェロ橋よりヴィ ットリオエマヌエレ2世橋 |
サンタジェロ橋より検察局とウンベルト1世橋 |
サンタジェロ橋の移民の鞄売り |
サンタジェロ橋北詰付近の移民の鞄売り |
物売りは取り締まりが有るとの情報で一目散に逃げて行きます。商品は紙袋1-2個くらいしかなく素早くたたんで消えていきます。しかし取り締まりが終わるとあっという間に戻ってきて鞄などを売り始めます。