フランスのモンサンミッシェルでドナとお母さん

2013年12月21日土曜日

バルベリー二駅からコロッセオ

 食事が終わりタンタンとお母さんお父さんは歩いてバルベリーニ駅へ行き、地下鉄A線に乗りコロッセオまで行くことにしました。
 途中アメリカ大使館の脇を通りました。



アメリカ大使館はあまり警備は厳重でありません。こんなのでいいのかなと思いました。





サルスティアナ通りを抜けVERSILIA通りに入ると
ホテルが有あります。



更に進んでいくと工業省が有る通りに出ました。通りの奥では集会とデモを行っていました。
警官が物々しい警備をしていました。写真の左手が工業省で突き当りがデジデンツアーホテルです。


今来た道を振り返ってみると静かな通りです。工業省の周りの集会デモと警備の警官の騒々しさはとは別世界でした。



バルベリーニ広場に着きました。

 
 
 バルベリーニ広場東側のバルベリーニ宮殿です。
 



お母さんとタンタンは地下鉄駅入り口です。



お母さんとタンタンは見上げて地下鉄Aであることを確認しています。
地下鉄の切符を買い乗り込むときお父さんは赤ちゃんを抱いた女性達がおかしい事に気付きました。乗り込むと直ぐに赤ちゃんを抱いた女性が追いかけるように乗りました。たまたま乗り合わせた日本人の男性が「気を付けなさい、あの人たちはスリです、黙っていると盗られてしまう」と注意してくれました。日本人の男性は女スリに向かってどすの利いた大きな声で怒鳴りました。女スリは黙って隣の駅で降りました。日本人の男性が「日本人は大人しく黙っているからスリには格好標的」と教えてくれました。その男性はローマに住みガイドをしているとの事でした。お礼を言ってテルミ二駅で別れ、タンタンとお母さんお父さんは地下鉄B線に乗り換えました。タンタンとお母さんは女スリの異様な雰囲気にびっくりし怖くなってしまいました。


 
 

2013年11月5日火曜日

スペイン広場から共和国広部、ヴェネッィア広部、フォロロマーノ、共和国広場そして昼食 イタリア5都市とパリへの訪問 2日目 2013年3月14日



 
タンタンとお母さんお父さんはスペイン広場を訪問し あとバスで
  • 共和国広場
  • ヴェネッィア広場
  • フォロロマーノ
  • サンタマリア・マッツジョーレ教会
  • 昼食
でめぐる予定です。 
 
 スペイン広場の上にあるトリニタ・デ・モンテ教会
 

 
 
教会前にそびえるオベリスク

 

システィーナ通りをバルベリー二方向へ向かっています。



システィーナ通りとクリスピ通りの交差点です。



クリスピ通りを北方向へ



クリスピ通りを更に北方向へ
奥の緑がボルケーゼ公園です





via crispi とvia di porta pinciana と via ludovisi の交差点にあるEDEN HOTELです。
タンタンとお母さんお父さんはEDENHOTELの右側 Via ludobiciを通ってバスが駐車できる場所へ向かっています。


via ludovisi を東へ向かうとヴィットリオ・ヴェネト通りに出ます。
交差点にあるのがアメリカ大使館です。



日本と違ってかなり閑静な場所にあります。日本にあるアメリカ大使館は赤坂にあり警察機動隊が常駐し警備も厳重です。日本とイタリアの違いが分かります。お母さんがタンタンに大きくなったらアメリカ大使館に出入りできる人になるのですよ言いました。


ヴィットリオ・ヴェネト通りを東南方向へ向かっていくとサンタマリア・デッラ・ヴィットリオ教会手間へにある交差点に出ます。日本の街路樹とは違ってオレンジが植えられ黄色になっています。タンタンはお母さんに一つ食べたいな言いました。



銀行です。




サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリオ教会です。17世紀に建てられサン・ベルナルド広場に面しています。


後期ルネサンス時代の建築家カルロ・マルデロの作品です。バロック様式の美術品が多く収蔵されています。タンタンはお母さんに降りて見学しようと言いました。お母さんがバスは簡単に止まりませんと。タンタンの先祖がいるような気がしました。



共和国広場です。サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会が見えます。広場の一角にある売店です。



共和国広場です。中心にあるナイアディの噴水です。1901年彫刻家マリオ・ルッテリの作品です。



作品が裸婦の像であり当時は問題ありの作品でした。今では夜はライトアップされローマの市民に愛されています。




ディオクレツァィアヌスの浴場跡を囲んでいた建造物の跡地を利用して作られた。イタリア統一後19世紀後半に建造された。当時はエクセラ広場と呼ばれていました。タンタンはお父さんに教えてもらったよ。お父さんはCVILENGINEERでありARCTEXTUREでもあるから都市と建造物そしてインフラに詳しかった。
長距離バスの発着場もありタンタン達のバスもここで降りました。



共和国広場でバスを降りナッィオ通りに入ると直ぐにローマ三越が有ります。タンタン達はツアー客とローマ三越に向かっています。





ローマ三越でタンタンとお母さんお父さんは買い物をした後共和国広場に戻り写真を撮りました。



お母さんはバッグを買いルンルン気分です。右手に持っている袋が買ったバッグです。







ローマ三越の売り場風景です。



お母さんとタンタンはお店の中を見て回りました。そうしたらお母さんの足が止まりました。良く見ると赤い鞄でした。タンタンは良いなと思ってお母さんと見ていました。お母さんがお父さんに「これ良いな」と、そうしたらお父さんも気付いていたらしく「いいな」と、お父さんが「どうする、買う」それで直ぐに買いました。タンタンも赤い鞄は良いなと思っていました。お母さんが買ったのは左手奥に奥にある赤い鞄です。



鞄を買ってお店にある休息コーナでローマの休日を流していました。





買い物をして共和国広場に戻り反時計方向に歩いています。中央に見えるのがウニクレディ銀行です。三越は同じ建物一角にあります。



ディオクレツァィヌスの浴場跡の半円径を利用した広場がよく分かります。



VIA EINAUDAにあるバス待機場所に向かっています。通りの奥に見えるバスがタンタンとお母さんお父さんが乗るバスです。



左手に見えるのが国立博物館とディオクレツァィヌスの浴場跡・サンタマリア・ディ・アンジェリ教会です。下の写真がディオクレツァィヌスの浴場跡です。




ヴェネッィア広場に着きました。



ヴェネッィア広場にあるヴィットリオ・エマヌエル2世記念堂です。



ヴェネッィア広場にあるASSICURAZION GENERALIです。



手前に見えるのがASSICURAZION GENERALIで奥に見えるのがサンタマリア・ロレート教会とサンティシモ・ノーメ・ディ・マリア・アル・フォロ教会です。



 
サンタマリア・ロレート教会とサンティシモ・ノーメ・ディ・マリア・アル・フォロ教会そして右側がFondazione Alda Fendi です。 
 


ヴェネッィア広場をフォリ・インぺリア通りを行きます。




ヴェネッィア広場をフォリ・インぺリア通り沿いにあるトラヤヌス市場跡です。



ヴェネッィア広場をフォリ・インぺリア通りを行くとフォリ・インペリアーリ博物館です。ここでは観光の馬車を見つけました。





フォリ・インぺリア通りを更に行くとコロッセオです。





バス駐機が出来るモンテオピオ通りからコロッセオです。



Via Della Polveriiera から黄金宮殿跡を見ています。



タンタンはびっくりしています。お母さんに約2千百年前に建造されたと又ビックリしました。タンタンとお母さんお父さんは日本と違った文化と技術があったのを眺めながら感心しました。



コロッセオとフォロロマーノです。



フォロ・ロマーノとファグタレ通り




メルナラ通りをテルミ駅方向へ、奥に見えるのがサンタ・マリアマッジョレ教会です。




サンタ・マリアマッジョレ教会です。ローマ市内に有るローマカトリック教会所有の教会です。新法王が就任後2日後に初めて訪れる予定です。新法王を取材するためローマ市内は大興奮です。取材陣が今か今かと待ち受けています。
タンタンとお母さんお父さんは歴史的な日にローマを訪れているのです。







バスを降りボンコンパーニ通りを東へレストランに



タンタンとお母さんお父さんは地図を見つけました。茶色で41と矢印で書かれいるところが現在位置です。



更に
バスを降りボンコンパーニ通りを東へレストランに



ルックロ通りをレストランへ、奥のオレンジ色の建物の奥がレストランです。



ルックロ通りをレストランへ黄色いマークが見えます



今日の昼食場所、RISTORANTE SQUISITO です。




タンタンとお母さんお父さんはレストラン内へ



レストラン内の厨房風景です、整理整頓清潔で料理を作っています。



お店の中は綺麗でオープンキッチンです。


 
前菜のフレッシュサラダです。意外とシンプルでオリーブオイルに酢をかけたものです。




イタリアで食べるナポレオンピザです。これも意外とシンプルです。日本の様に種類が豊富ではありません。シンプルの中にイタリアのおいしさがあります。タンタンは特別にピザを作ってもらいました。お腹を壊すといけないので水と暖かいミルクです。お母さんお父さんはビールです。




ナイフとフォークで食べます。お母さんはタンタンに食べようと言ってます。奥にいる女性が東海大の女性で、お父さんが区画整理の仕事をしていた伊勢原桜台の近くの女性です。